2025.05.23
レポート
メタバースの普及の可能性と課題
一般財団法人日本情報経済社会推進協会
電子情報利活用研究部 主査 石井 美穂
1 メタバースの普及の可能性
1.1 メタバースの市場規模
「メタバース」という概念は、ニール・スティーヴンスン(Neal Stephenson)の1992年のSF小説『スノウ・クラッシュ(Snow Crash)』にて、初めて登場しました。ここで描かれる「メタバース」は、ユーザーがアバターを通じてリアルタイムでコミュニケーションを行い、独自のデジタル経済を形成する「仮想空間」と言えます。『スノウ・クラッシュ』におけるメタバースの描写は、メタバースに関連する技術、例えばVR(virtual reality:拡張現実)やブロックチェーンなどの技術の発展とともに、技術的には実現可能なものとなりつつあります。
メタバースの市場規模に関しては、2022年6月、マッキンゼー・アンド・カンパニー(McKinsey & Company, Inc.)が、レポート「メタバースにおける価値創造」1において、「メタバースは2030年までに5兆ドルの価値を生み出す可能性がある」と予測しました。この予測は、メタバースが、エンターテインメント領域にとどまらず、教育、医療、製造業など広範な分野で導入されることによって、既存のデジタル経済との融合が実現することを前提としています。特に、ECや広告業界においては、仮想空間内における消費行動が新たな収益源になるとされ、企業がメタバース内で独自の経済圏を構築することで、より持続可能なデジタル経済が成長すると見込まれていました。日本国内の市場についてみると、2022年11月に、株式会社三菱総合研究所(MRI)が、研究レポート「CX2030:バーチャルテクノロジー活用の場としての広義のメタバース」2において、日本国内のメタバース市場が2025年に約4兆円、2030年には約24兆円に達すると予測しています。
これらのレポートが発表された2022年は、2021年10月にFacebook, Inc.がMeta Platforms, Inc.に社名変更し、メタバース普及について世界的な期待感が高まっていた時期と重なります。本レポートでは、2025年現在における「メタバース」について、あらためてその普及の可能性と課題について検討します。
2024年7月に公表された総務省「令和6年版 情報通信白書」3では、メタバースの市場について、Statista4の予測として「世界のメタバース市場は、2022年の461億ドルから2030年には5,078億ドルまで拡大」すると示すと共に、日本のメタバース市場について、株式会社矢野経済研究所の調査5に基づき「2023年度に2,851億円(前年度比107%増)となる見込みで、2027年度には2兆円まで拡大する」としています。その上で、「メタバースの熱狂的なブームは一段落し、地に足のついたビジネス展開が進むとみられる」と述べています。
2030年のメタバース市場に関する2022年と2024年時点の市場規模予測のズレについては、メタバース市場の範囲設定の違いに起因する部分もあることから、これらの数値をもってしてメタバース市場の将来性について「熱狂的なブームの終焉」という結論を導き出すのは、時期尚早であると考えられます。というのも、2003年にリリースされたLinden Labによる仮想空間「Second Life」のブームとその失速から20年以上が経過した現在、「メタバース」が普及するための技術的・文化的要件がようやく満たされるに至っているからです。
1.2 技術革新とデバイスの進化
メタバースの普及を支える技術革新としては、VRやAR(augmented reality:拡張現実)デバイスの進化があります。2019年11月のプライスウォーターハウスクーパース(PwC:PricewaterhouseCoopers)のレポート「Seeing is believing」によると、VRおよびARデバイスは、5年間で市場が倍増すると予測されていました6。実際に、デバイスの軽量化、価格の低下、そして5Gの高速通信技術の普及によって、ユーザーエクスペリエンスは大幅に向上しています。これにより、より多くの人々がメタバースを体験しやすくなり、メタバースの普及が加速する環境が整いつつあります。
また、AI技術の進化も重要な要素です。メタバース内での仮想キャラクター(アバター)のインタラクションは、自然言語処理技術の発展により、リアルタイムでの対話が可能となり、ユーザーごとにパーソナライズされた体験が提供されています。2024年には、AIを駆使したバーチャルキャラクターが、ユーザーの行動を学習し、仮想空間内での体験を個々に最適化する技術が普及し始めています。このような技術革新が進むことで、メタバースはただの仮想空間ではなく、現実世界の延長としての役割を果たすことができるようになります。
一方で、新たなコミュニケーションや経済圏の形成に不可欠な法整備や規制については、現在、国際的なルール作りが検討されているところです。
1.3 新たな経済圏形成やメタバース活用領域の拡大
メタバース内での経済活動は、NFT(非代替性トークン)やブロックチェーン技術の発展により、新たな経済圏を形成しています。SDKI Analyticsによれば、世界のNFT市場規模は、2024年時点で約856億米ドル、2037年には2,310億米ドルに達すると予測され、今後13年間で約2.7倍に成長すると見込まれています7。
また、Metaは、独自のメタバース経済を構築するため、10億ドル以上の投資を行い、仮想空間内でのマーケットプレイスやバーチャルサービスの提供を進めています。同社のXRおよびメタバース事業を担当するReality Labs部門の2024年の売上高は約21.5億ドル(前年比13%増)である一方、営業損失は約177億ドルとなり、前年の約161億ドルから赤字幅は拡大しています。そのような状況にもかかわらず、Metaは2025年も引き続きAIと並行してXR/メタバース領域への投資強化の方針を示し、AR/VRデバイス開発やメタバースプラットフォームの進化に向けた取り組みを継続することが発表されています8。
また、ゲームやエンターテインメント分野にとどまらず、教育や医療分野でもメタバースの活用が進んでいます。特に遠隔学習の分野では、仮想空間内で実践的なトレーニングやインタラクティブな授業を提供することが可能となることで、物理的な制約を超えた学習環境が整備されています。
2 メタバース普及に伴う課題
2.1 サイバーセキュリティの脅威
メタバースの普及に伴い、サイバーセキュリティの課題も増大しています。メタバース内で発生する可能性のある六つの主要なサイバーセキュリティ脅威は、「なりすまし」「改ざん」「否認」「情報漏えい」「サービス拒否」「権限昇格」と報告されており9、これらの脅威に対処するためには、強固なセキュリティ基盤の構築が不可欠です。特に、メタバースにおいては、ユーザーのアバターや暗号資産などが攻撃対象となる可能性があることから、ハッキングや詐欺行為への対応策は急務となります。
今後、メタバース内での商取引や通信の増加が想定されることから、ユーザーが安心してメタバースを利用できる環境の構築が求められることとなります。総務省「安心・安全なメタバースの実現に関する研究会」10の「報告書2024」11においても、ユーザーの安全確保、プライバシー保護、技術的対策の強化、法的枠組みの整備、国際的な連携が必要とされています。
2.2 データ流通とプライバシー保護
メタバース内で大量のデータが流通する中で、個人情報の保護が重要な課題となっています。特に、企業が収集するユーザーの行動データや位置情報は、個人のプライバシーに直結するため、適切な管理が求められます。メタバース内でのデータの不適切な使用により、個人の行動履歴や消費履歴が漏えいするリスクが増大しており、顔認識技術や音声データの収集が進む中で、プライバシー侵害の懸念が高まっています。
また、メタバースは、国や地域を問わずサービスが利用されることが想定されるため、各国のデータ保護法や規制に対応することが求められます。EU域外に拠点を置く事業者であっても、①EUのデータ主体にサービスを提供したり、②EUのデータ主体の行動をモニタリングしている場合にはGDPR(General Data Protection Regulation, EU一般データ保護規則)が適用され、個人データの厳格な保護が求められます。日本の個人情報保護法においても、ユーザーが自身のデータの開示や削除を求める権利が認められていますが、GDPRで定められているデータポータビリティに関しては明確な規定が存在しないため、メタバース内でのデータ移行の仕組みについて、今後の法整備や事業者の自主的な取り組みが求められます。
3 結論
メタバースは今後、急速に拡大し、さまざまな分野での活用が期待される一方で、セキュリティやプライバシーの課題も浮き彫りになってきています。これらの課題に適切に対処し、技術革新を促進することで、メタバースは新たな経済圏を形成し、社会全体にポジティブな影響を与える可能性を秘めていることから、今後も調査を継続していきます。
- 著者
- JIPDEC 電子情報利活用研究部 主査 石井 美穂
博士(メディア・デザイン学)
慶應義塾大学DMC機構助教、慶應義塾大学メディアデザイン研究所リサーチャー(現職)を経て、2019年より現職。
実施業務:
・プライバシー保護・個人情報保護に関する調査研究
・パーソナルデータの保護と利活用に関する調査研究
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