一般財団法人日本情報経済社会推進協会

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2017.09.20

レポート

第2回データ中心社会が変える情報経済社会の未来(後編)

50周年記念連載「NEXT50、次への一歩」を考える

JIPDEC設立50周年連載の第2回は、日本アイ・ビー・エム株式会社 最高技術責任者の久世和資氏をゲストに迎え、情報産業の過去から現在、そして未来についてお伺いします。
(聞き手、JIPDEC常務理事 坂下哲也)

IBMが考える「人に寄り添うAI」

坂下 IBMはIBM WatsonでAIに関して業界をリードしていると認識されています。現在は、どのような状況なのでしょうか。

日本IBM 久世氏

久世 AIは盛り上がっていますが、いろいろな解釈があるので、少し整理したいと思います。IBMでは、AIを“Artificial Intelligence”ではなく “Augmented Intelligence”と呼んでいます。AIは人に取って代わるものでなく、人をサポートするもので、最終的には人が主導権を持ち判断したり行動したりするという考え方です。

歴史を振り返ると、「体力の限界」を克服するために、蒸気機関による船や鉄道、さらにはエンジンによる自動車、建設機械などが発明されました。次に、「情報伝達の限界」の解決のために、手紙、電話、電子メール、ソーシャルメディアが登場しました。「生産性の限界」に対しては、そろばんやコンピュータが対応してきました。

現在、顕在化しているのは、「複雑性の限界」です。ビッグデータに象徴されるように、とにかくデータ量は、爆発的に増えていますし、種類も増えています。情報が我々の周りにあふれていますが、すべての情報を理解することは不可能です。ビジネスや社会の環境や状況も複雑化しており、生成されるデータも増えていますが、とても人間が短時間に網羅的にデータや情報を理解して判断や行動するということは不可能になっています。そこで登場するのが、コグニティブシステムです。大量のデータを網羅的かつ詳細に分析するというコンピュータに得意なところを担当し、人間が判断や行動するために必要な情報を提供し、人を支援することを目指しています。

現在の職業の幾つかが、AIに代替されるという議論もありますが、そもそも、コンピュータが登場した時も、きっと同じような議論があったのだと思います。莫大なデータに基づいて、判断材料を提示するアシスタントのようにAIが使われていくと、アシスタントの在り方は、業務や業態によって違うものになります。例えば、生命保険会社の保険金請求に対する査定業務は大変複雑で、多くの人と時間をかけて行っています。査定医という専門家が、単純な症状から複雑な合併症までに対応しているのです。このようなケースでは、単純な症状はWatsonに任せてしまって、本当に難しい査定は、専門家が判断するという分業により対応しています。その結果、業務全体の大幅な効率化を実現しました。

別の事例としては、コールセンターの支援があります。商品やサービスが複雑になるとお客様からの質問も複雑になり、ベテランのオペレーターでもなかなか答えられないことがあります。お客様から電話がかかってきたら、その内容を並行してWatsonが分析して、過去の膨大なコールログも利用し、質問内容から模範解答の候補をいくつかオペレーターの画面に表示します。オペレーターが「おそらくこれだ」というものを選び、同時に表示されている関連情報も使い、迅速かつ的確に回答することができます。これも、複数の企業でWatsonが支援している事例です。

ビッグデータ分析の技術展示。ビッグデータに基づき、京都市の天候シミュレーション、交通シミュレーション、ソーシャル分析を行う。

「データファースト」時代とは?

坂下 データの重要性が、非常に増しているように思いますが、あらためて、IBMが「データファースト」と言うようになった理由は何でしょうか。

久世 2011年に誕生したWatsonは商用のハードウェアの上にソフトウェアで組み上げたものでしたが、今はクラウド上に「自然言語処理」、「音声認識」、「翻訳」といった機能別のAPIを用意して、誰でも手軽に利用できるように提供しています。他社との差別化を考えると、競争力の源はデータの分析結果や知識になると考えられます。つまり、データの管理をどうするか、マネタイズをどうするか、本当に質のいいデータをどこから取ってくるのかといったことが、これからは非常に重要になってきます。データのマネジメントを系統的に実現できるデータプラットフォームが我々にとっても、製品やソリューションの主要な目標の一つになっています。また、大量で質の良いデータがないとAIを道具に使ったビジネスや事業はできないということを実感しています。

特に、医療の世界などでは、オープンデータ、論文のデータ、特許データなど、いわゆるだれでもアクセスできるデータが多くありますが、「どこのデータをどれだけとってきて、どれだけ処理しておけば価値が出てくるか」が重要になってきています。一方で、個人の健康データなどは、オープンになっていません。そこで、医療データでビジネスをやっている会社を買収するなどを行い、自らデータホルダーとなって進めていくことになります。IBMも、ヘルスケアの事業部を3年前に立ち上げましたが、2015年に米国で医療データビジネスをしているPhytel, Explorys, Merge Healthcareといった会社を買収しました。

坂下 データが価値を生む時代ですが、そのデータの信頼性の担保や価値基準を決めるのは難しいと言われます。データは、データの背景やエビデンスがしっかりしたものから、購買履歴、検索情報やSNSのデータ等、データの中身は多岐にわたります。多岐にわたるデータの中から信頼できるデータを探す尺度などについて、何かお考えはありますか。

久世 データそのものの質や信頼性を測る判断基準をつくるのは、さまざまな業界・業種があるので難しいと考えています。「質が良いか?」の問いに対して、わかりやすいのは、「いかなる価値を持っていて、だれが欲しがって、そこに対価を払うか」ということです。データそのものの価値を事前に測るよりは、例えばビルやエレベータのメンテナンス会社が保有するビルの利用データ(電力他)やエレベータ利用データを分析すると、その都市の経済状況や動向がわかったりします。このように本来の用途とは異なる用途でデータ活用することで、新たなデータの価値が見いだされることも増えてきます。

日本の企業には、現場のノウハウや匠の世界などが多くありますので、そこに蓄積されたデータは大きな価値を持っているはずです。そのような意味で、「データは第2の天然資源である」と考えています。これからは、「データそのものが企業価値になります。それがビジネスのネタになります」というような見方が主流になってくるので、全く異なる次元のデータに対するアテンションが必要ではないでしょうか。ただ、むやみにデータを貯めるということではなく、データ活用の方向性やビジネスモデルの側面から考察し、戦略を持ってデータに対応することが重要です。一方向ではなく、多面的な視点で見る事で、データの新たな価値を見出す。天然資源としてのデータはまさに、そのような世界であると認識しています。

IBMでは、Global Technology Outlook(GTO)という取り組みを2000年より実施しています。3年から10年先に、市場を変えたり、市場を創り出したり、ビジネスを変革する可能性があるテクノロジーについて深掘りしてレポートを作ります。テクノロジーの動向を網羅的に見るのではなく、抜本的な変化を起こすものを選択的に取り上げます。専属のスタッフは数名ですが、世界中の研究所から延べ200名以上がボランタリーで参画し、約1年かけて作り上げます。この取り組みのオーナーは、IBMのCEOで、2000年に開始した際は、ルー・ガースナー、その後、サム・パルミザーノ、現在は、ジニー・ロメッティです。完成したレポートは、CEOがまず熟知し、全社に展開されます。このレポートが、IBM全体の企業戦略を策定する上で、重要な情報源の一つになっています。GTOに載るかどうかで、それに関連した事業の優先順位が変わることもあります。

GTOでも、ここ数年、データに関するテーマが積極的に取り上げられ、「データファースト」のコンセプトにつながっています。データファーストに関連するテクノロジーのみならず、産業や業界特有のビジネスシナリオもGTOの中で議論されています。

ブロックチェーンの本質とは?

坂下 少し未来の話をしたいのですが、この先出てくる技術について少しお話をうかがいます。まず、ブロックチェーンなのですが、こういうものの可能性はどのようにごらんになっていますか。

久世 ブロックチェーンは大変重要な領域で、フィンテックはもちろんですが、フィンテックを超えて、物流や資産管理など広範囲での活用が期待されています。

ブロックチェーンの本質は分散台帳管理です。従来であれば台帳は1つにまとめて、それに対するインタフェースを決めて、関連する組織や企業がアクセスしています。新しい組織や企業が参加しようとすると、集中管理された台帳にアクセスする必要がありますし、インタフェースに合わせアプリケーションの修正も必要になります。台帳そのものをブロックチェーンで分散管理できるようにすれば、新たなメンバーが台帳にアクセスすることが、高いセキュリティを保持した上で、より柔軟に実現できます。

坂下 JIPDECでは、ISO(国際標準化機構)にTC307(ブロックチェーンと電子分散台帳技術に係る専門委員会)の日本の国内審議団体として、国際規格の開発のための国内検討委員会の事務局を務めています。今年の11月には、国際会議を日本で開催することで準備を進めています。IBMの中で行われているブロックチェーンの研究はどのようなものなのでしょうか。

聞き手 JIPDEC常務理事 坂下哲也

久世 日本の金融機関は集中管理によってメリットを出し、そこで事業をやっています。ブロックチェーンで分散管理できるようになれば銀行がなくても取引が済んでしまう。他にも、保険とか、固定資産管理とか、土地を買ってローンというと銀行が取引の中心になっていますが、そこが変わってきます。まずは、現行の業務をブロックチェーンで置き換える実証実験をお客様と共同で多数実施しています。また、海外の大手小売りチェーンの会社と提携して、サプライチェーンへのブロックチェーンの応用に取り組んでいます。

技術的な側面では、セキュリティと性能の研究に力を入れています。ブロックチェーンでは、認証を分散で行うことにより、セキュリティを担保しています。このセキュリティと性能のバランスが課題になっています。分散させるほどセキュリティレベルは上がりますが、パフォーマンスは低下しますから、プラットフォームの設計において多くの技術課題があります。

ブロックチェーンでは、オープンスタンダードとすることが最重要ですが、我々はHyperledgerに準拠したブロックチェーンを推進しています。

時代を変える新たな技術

坂下 ブロックチェーン以外で、久世さんが注目している技術はありますか。

久世 先ほどご説明した脳を模したニューロモーフィング・チップと、もう一つは、量子コンピュータです。IBMは、汎用の量子コンピュータを目指してゲート方式を採用しています。2016年6月にQuantum Experienceというプログラムを発表しました。無料で、ネットワークを通して自由に量子コンピュータを使えます。現在、5qubit(量子ビット)のものを公開していますが、世界中で4万人以上の人が、このプログラムを利用して、量子コンピュータを体験しています。IBMは、現在、50qubitの量子コンピュータの開発を目指しています。

クラウドでは、その先に多種の計算ノードがつながることが期待されています。次世代スーパーコンピューターのData Centric Computerやニューロモーフィックコンピュータ、量子コンピュータが、自由に組み合わせて使える環境も、近い将来、利用できるようになるはずです。

また、Watson Edgeという世界最小コンピュータ(World Smallest Computer)の研究開発も進めています。これは、指紋の溝の中に入るぐらいのサイズのコンピュータで、CPU、メモリー、バッテリー、通信モジュール、センサなどが実装されています。これまで、超小型のセンサはありましたが、このサイズの完結したコンピュータは世界初の試みです。計算性能はそれほど高くありませんが、例えば、ブロックチェーンの計算には十分です。IoT時代のエッジコンピュータとしての活用が期待できます。

セキュリティに関する技術の研究開発は重要であることに変わりはありません。クラウド、マルチクラウド、IoT、エッジコンピューティングと対象領域は拡大するばかりです。意識せずともセキュリティが完璧に実現できるようなシステムの構築に向けて、研究をさらに進める必要があります。

坂下 意識しないでセキュリティを守る技術開発は、難しいとは思いますが期待したい領域です。JIPDECでは、個人情報保護に関して活動していますが、個人情報の各国の域外移転に関しては、EU一般データ保護規則というのが来年施行される予定です。個人情報をEUから持ち出すときには十分な管理ができていない場合は罰金が課せられることになります。その罰則規定は非常に重く、その会社の全世界の売り上げの2%か2,000万ユーロを課徴するとなっています。事業者の方々の中には、この対応にあたって、契約や施策のみならず、技術的な対応に悩んでいる方も多いとお聞きします。

クラウドにしても、インターネット等システム的にはワールドワイドに繋がりますが、現実には「国や制度」という壁があり、それを超えなければいけない問題はあるように思われます。

久世 IBMもマイクロクラウドという技術で、個人情報や特別な設計情報など、国を超えてやり取りが規制上できないデータについては、データを移行せずに実行ができるシステムを研究中です。

また、将来的には、データ自体がアクセス権や完全消去の管理ができるような技術の研究開発が進むはずです。不要になったり有効期限切れになったりしたデータを、サーバーやクラウドにある管理システムが消去するのではなく、データ自体がタイマーを持っていて、有効期限や長期間過ぎたら自らを消去するといった技術です。

さらに、場所や移動に応じて、アクセスを制御することも同様に考えられます。これは、例えば、社外秘のデータは、物理的に会社の建物の中でしか見えないとか、特別な会議室の中でだけアクセスできるといった応用もあります。

これらの技術は、ある意味、ブロックチェーンの延長にあるコンセプトかもしれません。セキュリティの集中管理から、分散管理(ブロックチェーンなど)、さらには、自己管理できるデータといった流れです。そのためには、データ構造やデータ機構の研究開発が重要です。

坂下 今の潮流は、これまでデータは分析した結果を利用してビジネスをしてきたものから、データ分析そのもの、またはリアルタイムな結果によってビジネスができるようになっています。このような流れが加速されていく中で、どのような点が差別化のポイントになるのでしょうか。

久世 ビッグデータの過去の歴史をひもとくと、(データが)何の役に立つのか分からないと言われていた頃から、いろいろな企業や研究機関が一生懸命データ分析をやってきました。それが、だんだん役立つのではないかという状況に確実に変わってきましたし、現実に利用できるデータ量も種類も爆発的に増えてきました。今やそこに投資をしてビジネスにしていくという流れができています。日本の企業の場合は、まだ、そういった意識が少ないように感じています。デジタル化で、日本と欧米企業で差が出ていますが、さらに、データへの取り組みでも、差が広がることを懸念しています。

坂下 論文の引用数で見ると、40%以上がアメリカの論文、17%が中国、日本の論文は7-8%しか引用されていないような状態です。やっぱり基礎研究が大事で、「データファースト」の世界になった時、日本も攻めのデータファースト投資をしていくという流れが必要なのではないでしょうか。

久世 はい。その通りだと思います。最近の傾向として、製造業の現場ではモノとデジタルが融合してきています。例えば自動車は車そのものがIT化しています。車、家電、装置など、すべてのものが、ネットワークでつながってきます。そのような製品の構成要素として、ハードウェアの部品以上にソフトウェアの重要性が増えています。日本が強い材料やケミカルの世界でも、実験だけではなく、シミュレーションやマテリアルディスカバリで、新たな材料や化合物を開発の効率化が進んでいます。

これに対して、日本は、製造業での強力な「ものづくり」や現場の匠の蓄積があります。また、サービス産業などでも、「おもてなし」など日本独自の強みが多くあります。これらに、デジタルを効果的に融合することができると、必ず世界をリードすることができるはずです。

日本の強いものづくりを支えている技術者が、デジタルやデータの重要性を認識し、デジタルを電卓のように普通に使いこなせるようになると、状況は大きく変わってきます。また、製造業や技術者に限らず、どのような業界でも、どのような職種や役割の人でも、デジタルが当たり前に使いこなせるようにならなくてはいけません。学校での教育も重要です。

さらには、デジタルやデータを専門的スキルや経験を持つ人は、それなりの社会的地位や報酬をあたえられるように、政策や経営の側面での意識改革とバックアップが必要です。デジタル化とそこから生み出されるデータの重要性への認識をしていただきたいと思います。

坂下 IT人材育成とは、プログラマー育成ではなく、皆が普通にITを使えるようにするということで、そのための政策支援や経営者の理解が必要だということですね。
たくさんの貴重なお話をありがとうございました。

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